2週間のスイス実習期間の中には、大学院生が独自の課題を設定し、スイスの各地を訪れる研修日が1日あります。私は例年、ツェルマットに滞在し、マッターホルンの下部に広がるオフィオライト帯を歩いて過ごしてきました。ところが、今年はツェルマットの常宿であるバンホフ・ホテルが改修のため、手頃な値段の宿を見つけることができず、研修日は別のテーマを考えることにしました。いろいろ思案した挙句、大学院生の頃から興味を持っていたスイス西部の街、ヌーシャテルを訪ね、背後のジュラ山中にある迷子石を見学する旅です。

19世紀の初頭、アルプス山脈から遠く離れたジュラ山地の中腹にある巨石のの起源をめぐって、イギリス、プロイセン、スイスの研究者が様々な議論を交わしていました。石灰岩からなるジュラ山地に点在する巨石は、主に花崗岩からなり、この花崗岩は遠く離れたモンブラン山塊を起源とするものであることがわかっていました。問題は、100kmも南にあるモンブランからジュラ山地まで、どのようにして運ばれたのかという点です。古来、これらの巨石は、聖書の創世記に書かれているノアの洪水によって運ばれたと信じられてきましたが、19世紀の初頭になると、別の考えも出てきました。プロイセンの地質学者フォン・ブーフはアルプスの爆発的な隆起に伴って飛来したと考えました。イギリスの地質学者バックランドやライエルは、ダーウィンの南大洋での観察に基づいて、氷山が輸送したという説を唱えました。これらの仮説に対し、氷河の身近で暮らすスイスの猟師ペローダンや工学技師のベネッツは、氷河によって運ばれた可能性を考えました。この2人の経験に基づく仮説は、ローヌ谷の在野の科学者であるド・シャルパンティエによって精緻化され、さらにこの考えを急速に理解した古生物学者のアガッシによって広く世に問われ、ここに大規模な氷河がかつてヨーロッパを広く覆ったという氷河期の考えが登場します。1830年代末のことです。1837年7月24日にヌーシャテルの自然科学会の年次総会で会長のアガッシがこの説を突如として発表した際、参加者は大いに困惑したそうです。

ヌーシャテルの街はヌーシャテル湖を南に、ジュラ山地を北に配する美しい街です。目的地はヌーシャテルの街の背後にあるPierre-à-botの迷子石です。急斜面に沿って立ち並ぶ高級な住宅街をあみだくじのような道に沿って登っていくと、ぶどう畑が広がります。そのぶどう畑のさらに上にある山林の中にPierre-à-botの迷子石はあります。人物と比べると、その石の大きさがわかります。角張った外形は、この石の輸送に流水が関与していないことを想起させます。驚いたのは、現地にはこの石に関する説明はなく、あるのは石の位置を示す簡単な道標と、石にはめ込まれた二つのプレートだけです。その一つには、この石の由来がフランス語で記されていました(下の英訳はWorsley (2024)による)。

“To the memory of Louis Agassiz, Arnold Guyot, Edouard Desor, Leon Du Pasquier: pioneers of glaciology and Quaternary geology; this erratic block named toad stone was provenanced in the Mount Blanc massif and transported by the ancient Rhone Glacier”

当日はヌーシャテル湖を前景に、その南に広がるアルプス山脈は雲の中でした。この遠く離れたアルプスの氷河が拡大し、ジュラ山地までこの巨石を運んだと想像することは、あの当時どんなに困難だったろうかと思い、その仮説の検証と普及に努力したスイスの研究者たちに深く感銘を受ける1日でした。

迷子石

今年も、北海道大学大学院 環境科学院の国際南極大学カリキュラムのひとつに位置付けられているスイス氷河実習に引率教員として参加させていただきました。
 杉山慎教授をリーダーに、私と大学院生8名(北海道大学大学院、千葉大学大学院、東京大学大学院、総研大学大学院)の総勢10名が8月23日から9月6日にかけて、)スイス連邦工科大学における氷河に関する講義受講; 2)ベルナーオーバーラントでの下グリンデルワルド氷河とアレッチ氷河の観察、ならびにユングフラウヨッホ高地観測所訪問; 3)ローヌ氷河における氷河・気象・水文観測実習; 4)ゴルナーグラートからのポリサーマル氷河の観察; 5)観測結果の報告ならびにスイス連邦工科大学における氷河と気候に関する講義受講、という5つのプログラムをこなしました。
 天候は晴れたり、曇ったり、雨が降ったりと、なかなか不安定な年でしたが、スイス・アルプスの雄大な景色を堪能することができました。大学院生も、スイスの氷河、山、スイス連邦工科大学でのキャンパスライフなどを満喫できたと思います。2024年に引き続き、氷河は後退を続けています。

ローヌ川水文観測

長尾誠也・白岩孝行・西岡 純 (2025) 陸域結合システム:沿岸域の生物生産特性を制御する陸域と沿岸域の水塊流動と物質動態 -北海道東部の別寒辺牛川・厚岸湖・厚岸湾内外での陸海結合解明研究-.沿岸海洋研究, 63(1), 77-80. https://doi.org/10.32142/engankaiyo.2025.8.006

竹内祥太・雫田まき・中田聡史・伊佐田智規・白岩孝行 (2025) 北海道東部 別寒辺牛川流域における有色溶存有機物の空間分布と流出.沿岸海洋研究, 63(1), 81-89. https://doi.org/10.32142/engankaiyo.2025.8.007

加藤寛己・今井望百花・中川こずえ・平元正磨・西岡 純・白岩孝行・長尾誠也・山下洋平・木田新一郎・伊佐田智規・芳村 毅 (2025) 北海道厚岸湖および厚岸湾の栄養塩分布と河川由来栄養塩の寄与.沿岸海洋研究, 63(1), 91-96. https://doi.org/10.32142/engankaiyo.2025.8.008

長尾誠也・佐々木一樹・入野智久・伊佐田智規・白岩孝行・落合伸也 (2025) 210Pbを用いた厚岸湖・厚岸湾における陸起源粒子の移動・堆積過程の検討.沿岸海洋研究, 63(1), 103-108. https://doi.org/10.32142/engankaiyo.2025.8.010

Ding, M., Shiraiwa, T. and Nakata, M. (2025) A simple approach for estimating freshwater discharge from a wetland stream flowing into a Brackish Lake. Journal of Hydrology: Regional Studies, 61, October 2025, 102666, https://doi.org/10.1016/j.ejrh.2025.102666

王子ホールディングスとの共同研究で進めている猿払川流域の湿原が河川を通じて沿岸域に供給する生態系サービスを解明すべく、当研究室の岩堀佑さんと澤田隼輔さん(ともに修士2年)と共に、猿払川河口を中心とした沿岸域において、河川の影響を解明するための海水採水を7月29日に実施しました。横山茂船長の操船する長栄丸にお世話になり、猿払川河口から東西10km,沖合4kmの範囲に40地点の採水ポイントを設け、表層海水と10m深の海水を採水しました。また、翌日には猿払川と狩別川の流域の約30地点で河川水の採水を行いました。今回は渇水期間ということで、河川水の影響を海域で検出するには一番条件の悪い期間となります。今後は降雨後や融雪洪水の時期を狙って、同様な観測を繰り返すことで、猿払川が輸送する湿原由来の溶存物質が海域にどのように輸送され、拡散し、沿岸域の一次生産に役立っているのかを解明したいと思っております。本観測を実施するにあたり、猿払村漁業協同組合の木原智彦開発研究室長と横山船長にはたいへんお世話になりました。また、猿払村の笠井旅館にもさまざまな点でご協力をいただきました。以上の皆様に感謝申し上げます。

知床沿岸観察

Tashiro, Y., Onishi, T., Watanabe, R. and Shiraiwa, T. (2025) Reducing soils serve as a legacy source of dissolved iron to northern Hokkaido rivers during the autumn low-water season. Hydrological Research Letters, 19 (3), 164-170, DOI: 10.3178/hrl.25-00012

6月19日から23日にかけて博士研究のテーマとして、知床で漁業番屋の研究を続けている伊原希望さんの調査に同行しました。近年次第に利用されなくなった番屋に注目し、その現状と背景を解明しつつ、国立公園内に分布する番屋の価値を、漁業の観点はもちろんのこと、更に広い観点から再定義しようと試みる研究です。世界自然遺産に立地する番屋なので、国際法や国内法の観点からも検討する必要もあり、北海道大学大学院法学研究科の児矢野マリ教授(国際法)と京都大学法学研究科の島村健教授(環境法)にも同行していただきました。また、現場でのさまざまな危険に対処するため、山岳ガイドの樋口和生氏に現地での安全対策のために同行していただきました。

知床半島のオホーツク海沿岸を対象に、菊池光男船長の操船による第18晃洋丸からの目視調査を行うとともに、ウトロ周辺の海岸においては、知床アウトドアガイドセンターの関口均さんの案内で海上から海岸の様子を観察することができました。

これらの調査とは別に、研究室で進めている知床半島の海岸漂着ごみに関する研究については、同行した樋口和生氏のご紹介で、長らくこの地で海岸清掃のボランティア活動を続けてこられた赤澤歩氏や、自然ガイドで知床科学委員会委員でもいらっしゃる松田光輝氏にお話しを伺うことができました。また、今後についても知床財団の山本幸氏に相談させていただき、ワークショップ開催のご協力をお願いいたしました。

短い滞在でしたが、今後知床で研究を続けていくにあたり、重要な情報を得ることができた実り多い調査でした。

知床沿岸観察

2024年度より王子ホールディングスとの共同研究として「森の価値見える化プロジェクト」を道北の猿払川流域で進めています。我々のチームの役割は、森や湿原から供給される溶存鉄がオホーツク海沿岸の基礎生産に果たす役割を解明し、森林・湿原流域の生態系サービスのひとつとして、海洋への貢献を明らかにすることです。

猿払川から河口を通じて沿岸域に輸送される陸域起源の溶存鉄の総量を見積もるための観測を5月16日から19日にかけて実施しました。河川に流量を計測するための横断ラインを設置し、この断面を単位時間に通過する水量を観測で求めます。湿原河川はその断面形状が箱型をしていることが多く、河幅の割に水深が大きいことが特徴です。このような河川では、小回りがきき、機動力の高いカヌーが役に立ちます。

猿払川流量観測

野外での観測に伴う様々な危険を回避し、安全に調査を進めるために実施している野外行動学実習のプログラムのひとつである手稲実習を4月26-27日にパラダイスヒュッテを拠点に実施しました。山岳ガイド2名や専門の研究者から読図やロープワーク、観天望気を学びました。

手稲実習